アンパンマンには2つのタイプがあります。
1つは、やなせたかしさんが味わい深い線で描いている「あんぱんまん」の絵本シリーズ。もう1つは、キャラクター化された「アンパンマン」がにこにこ笑っている、様々な形状の本。前者はまちがいなく絵本でしょう。後者は絵本の形をしていますが、子どもの反応を見ていると、おもちゃに近い感覚でもあるような気がします。
ではそのおもちゃのような絵本を絵本屋に並べるのかどうか・・。
迷うところです。なぜかというと子どもがとにかく好きだから。でもお母さんたちの「どうしてこんなものが・・」という心の叫びも聞こえてくるようだからです。子どもたちは「わぁ!アンパンマン!」と飛びつきますが、親としてはもっと他の本を読んでほしいから連れてきたのに、というのが本音のことが多いのではないでしょうか。そして店内に響くコール。「買って!アンパンマン!買って!」「読むのはいいとしても、家に又アンパンマンが増えるなんて・・・。」そんな方も多いかもしれません。
どうしてキャラクター化された絵本がだめなのか。それは子どもの反応が極端だからではないでしょうか。アンパンマンにしろ、トーマスにしろ、物語よりもそのキャラクターのもつキラキラとした力に引き寄せられて、子どもがときめく。そこには、物語に入り込んでその世界を楽しむという、絵本特有の想像するおもしろさがないからではないかと思います。やなせたかしさんの描く「あんぱんまん」は、少々ゆがんだ顔、ちょっぴり頼りない体、地味な色。全くキラキラしていません。でも読んでいてその世界に入り込めるのです。やなせさんの描く絵本の中のあんぱんまんはキャラクターとして独立しておらず、その世界の住人だからです。
大人になってから息子が生まれるまで、アンパンマンについてあれこれ考えたことはありませんでした。でもベビーカーで外を歩くと、いたるところにアンパンマン。それを目ざとく見つける1才前後の息子。「こんなところに!」と息子とアンパンマンを発見しては喜び、泣きそうなところもよく助けてもらいました。息子が生まれるまでは怖いだけだったトーマスも同じです。トーマスの存在は、息子の生活になくてはならないものでした。それなのに、図書館でトーマスの絵本が並んでいると、正直こまりました。キャラクターとの出会いを求めて、絵本を読みに行っているわけではないからです。でも子どもはそんなのお構いなし。キャラクターを全面にだした絵本は、読んでいても大人が退屈してしまいます。キャラクター図鑑なるものもありますが、ひとつひとつ読んでいくのは、なかなかの根気がいります。
でも好きですよね。トーマスの図鑑は新幹線で遠出した際、まよわず買いました。そしていっぱい助けられました。アンパンマンもお出かけのお供でした。アンパンマンの型抜き絵本は、小さな子どもがページを乱暴にめくっても、落としても、頑丈で安心です。穴などがあいていて次のページがちらりと見えるものもあるので、それを使って子どもと会話することもできます。息子は少し大きくなると分厚いトーマス図鑑を小脇にはさんで、かっこつけて歩いていました。たとえそれが大人にはおもちゃのように見えても、「本」というのは大人も難しそうに読んでいるものだから、子どもにとってかっこいいものとして認識されるのではないでしょうか。だから小脇にかかえて、かっこつけてみたりする。たとえトーマスでも、それは彼にとっては立派な図鑑。特別な思い入れのある本があるっていいなと思います。
もちろんそういったおもちゃのような絵本は、物語絵本とは別物だとは思います。でも子どもたちが大好きな絵本。だから「これ絵本?」というこだわりは横に置いておいて、アンパンマンもトーマスも、絵本屋の片隅に常に置いています。入ってきた小さな子どもたちがまず手に取る絵本はアンパンマンという確率、とっても高いです。みんなとても幸せそうな声を発します。
ありがとう、アンパンマン。