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今日何したの?

息子のお迎えの帰り道、つい口にしてしまうことがあります。

「今日何したの?」

他に話すことが出てこない時、つい簡単な質問で息子の頭を悩ませてしまいます。園での時間は今を生きる息子にとっては遠い昔の話だし、振り返らず前へ進んでいくのが子どもなので、大抵の場合、返ってくる言葉は、

「う〜ん・・・わからん」

 

だけど「今日何をしたのか」はとても知りたいのが親心で、余裕のある時は「かーちゃんは今日は仕事でこんなことしたよ」と具体的に臨場感たっぷりに話すようにしています。私が話をすると、自分のことも思い出すのか、あるいは、今日の話ってこんなことを話せば良いんだと掴めるのか、冒頭の質問をしなくても「今日はこんなんしたで」と自分の話を返してくれます。こどもとの会話はこういうちょっとしたことで広がるのだけど、こちらが疲れていると、子どもに委ねてしまい、結局今日も「わからん」で終わったなぁ、園で何したんだろうなぁというのが日常です。

 

その日、

息子に「今日何したん?」と聞き、「わすれた」と返され、「あーまた聞いてしまった」などと思いながら、なんとなく不機嫌な息子を自転車に乗せて夕飯の買い物へ行きました。お店に入ってしばらくすると、「靴に砂が入ってる!」と勢いよく不機嫌を放出し始める息子。慌てて外に出て、半泣きの息子を花壇の隅に座らせ、靴を脱がせ、靴の砂を出し、靴を履かせ、やっと落ち着いた息子の隣に私も一緒に座って一息ついた時、息子が不意に「今日なあ」と話し出したのです。その日はお友達に不本意なことをされ、嫌だという気持ちがうまくその子に伝わらなかったようで、そのままその気持ちを無意識に引きづっていたようでした。だけど息子は5才。嫌な気持ちが残るようにはなったけど、園ではそのまま忘れて遊びまわっていたようだし、それを誰かに伝えるということにまだ難しさを感じる年頃です。だから「今日何したの?」と聞かれても、とっさにその話題がでるわけでもないけど、不機嫌の種のようなものが息子も気付かないうちにずっと心のどこかにあったのだと思います。

 

園の緊張感から解放され、母親が自分のわがままに付き合い、もう自分で脱げる靴を脱がさせてくれたり、砂をはらったりしてくれたことで、息子の中に溜まっていた甘えを出し切ることができ、安心感へと繋がったのかなと思うのです。その安心感の中だからこそ、「今日なあ」という話が自然とでてきたのだと。

 

成長して反抗的になってきている息子に、理由もなく不機嫌でいられたり、わがままを言われると、反射的にイラッとしてしまう日々です。でも不の気持ちを放出する裏には自分でも言葉にできない理由があるのだと感じました。

親との時間は「安心」を作り出すこと。安心感の中でこそ子どもはすくすく育って行くものだということを常に心にとめておきたいと思った出来事でした。