ここ数年、息子に対して指示や意見することが多くなりました。
例えば息子が朝なかなか出発しない時、「靴を履いて」と指示をだします。出発がめんどくさい息子はすぐには履きません。玄関に行く気配もなく、急に絵を描き始めた息子に「今絵を描くのは辞めて」と次の行動に私は意見します。最初は1つの指摘だったり指示だったりが、積み重なるように小言が増えていき、息子はそれに比例して私の言葉を聞かなくなり、私のイライラは募り、最終的に爆発する。そこまでしてやっと息子は靴を履きます。もちろん毎日爆発するわけではないですし、ニコニコ楽しい時間だってあるけど、頻繁に訪れるこの負のスパイラルは家族全体のダメージがとても大きく、なんとか断ち切りたいと、前回「一週間小言を言わない」と宣言をしました。(→詳しくは前編をお読みください)
小言は一週間、封印できました。
小言を言わないとどうなったかというと、まず気持ちが穏やかになりました。そして、息子を傍観することができました。この一週間の間、怒らなかったわけではないですし、注意もしました。でも「小言を言う」だけは断固として封印しました。どうしても言っておいた方がいい指示はアドバイスに変えて、「もうそろそろ着替えた方がいいよ」など最小限のことだけを伝えるようにました。そしてできるだけニコニコ過ごすというのを実践しました。
そうすると、園に行くのも遅い、歯もなかなか磨かない、寝るのも遅い息子。ですが、ずっと小言を言って急かしていた時と比べ、それほどは遅くなりませんでした。口うるさく言っても言わわなくてもそれほど変わらないのに、ただ自分が消耗していくだけだった小言、辞めたいなと心底思いました。もちろんいつもニコニコしてなどいられません。機嫌の悪い時だって、怒る時だってある、それでいいと思います。でも「いつも口うるさい」はこれを機に断ち切ろうと思いました。
この一週間、最小限に止めたアドバイスが息子に届いた実感がありました。いつもは無視なのか、耳に入ってないのか、悲しくなるほど反応がないのです。そしていつもは小言の延長線上で、重要だと認識してもらえていなかった怪我に関わる注意も、聞いてもらえました。口うるさくしていなければ、大切なことが聞いてもらえるんだと、当たり前のことですが発見です。
さらにこの一週間の大きな収穫は、だんだんと息子の行動が気にならなくなったことです。例えば、「そろそろ着替えたほうがいいよ」と伝えて、息子がすぐに着替えなかった時。息子は服を着替えたくない、今は遊びたいということをそのまま認めることができました。たったそれだけのことが、口うるさく言っている時はなぜか認められないのです。指示をしたのにそれを聞かない息子という図が、親としての欠陥のように感じ、着替えずに遊んでいることが気になったり、聞いてくれないということに苛立ったり、負の気持ちがどんどんエスカレートしていくのです。子どもは「親の所有物」ではないということはわかっているつもりでも、どこかでそう思っているというということなのかもしれません。「思い通りにしてほしい」と。でも子どもは自分のものではないし、同じ考え方だったり、素直に言うことを聞いたりするわけもない。それが成長している証拠。わかっているのに、です。
今後も「口うるさく言わない」を続けていくことが、息子を客観的に見ることに繋がり、息子と一人の人間として付き合っていく冷静さを持たせてくれる気がしています。