遠方にある息子の父方の実家に遊びに行くのは年に2回ほど。
遊びに行くと近所の大型書店にて、子ども向け雑誌や、知育ブロックを買ってもらうのがここ最近のルーティーンでした。たまたま書店に立ち寄った際に知育ブロックを息子がねだったのがそもそもの始まりだったのですが、買ってもらう箱の大きさは回を重ねるごとに大きくなっていき、でもお店に行くのは祖父母と息子3人の大切な時間にもなっていたので、申し訳ないながらもお任せしていました。
5才になった息子は、そのブロックも大好きだけど、いろいろなテレビ番組にも夢中になり、CMやカタログで紹介されているおもちゃが買えるということにも気付き始め、そろそろ書店ではなくおもちゃ屋さんに連れて行ってもらうほうが喜ぶのではと、前回帰郷の際に息子は遅いおもちゃ屋デビューを果たしました。
初めてのおもちゃ屋から帰って来た息子の手には、最近大好きなパウパトロール(犬のパトロール隊が活躍するカナダ制作のアニメ)のポリスカー。アニメと同じ大好きな犬のキャラクターが搭乗していて、車体が飛行機に変形したり、ボタンを押すとボールを発射できたり。ほくほくした顔でポリスカーの仕組みを説明する息子を眺めてこれまた幸せそうな祖父母。
親としては何を選択するときも、これは成長につながるという期待や家のインテリアを損なわない範囲でという思考がいつもどこかにあって、知育玩具や木製の玩具などをつい購入しています。でも無条件に孫が好きな祖父母にとっては、孫が喜んでいる顔がなによりもうれしくて、その喜びの顔はいわゆる「おもちゃ」のほうが、顕著に現れるのかもしれません。
絵本屋として、絵本は楽しんでこそのものだと思っています。絵本をしつけや教育と結びつけることには違和感を感じているにも関わらず、おもちゃと教育が結びつくことに関してはそれほど違和感がありませんでした。本屋さんがまるでおもちゃ屋さんのようになってしまっている光景や、おもちゃ屋さんが「頭がよくなる」をキャッチコピーにしている光景に疑問を感じつつ、息子に購入しているおもちゃは、どこかで学びへのつながりを期待していたかもしれません。考えてみれば矛盾しています。
知育玩具はすばらしいと息子の遊ぶ姿を見て今も実感しています。
ですが今回息子が買ってもらったおもちゃは、家の中で少々目立って場所はとりますが、これこそがおもちゃです。頭を使わず、ただただ好きな世界観が目の前にあって、自分がそれに関わることができるうれしさ。息子の顔をみていると改めてそのおもちゃが息子の人生に与える役割の大きさを感じました。
それは成長などという結果がでるものではなく、遊んだ思い出が心の中で大切に積み重なり、すくすくと大きくなっていく。それだけのことだけど、もしかすると学ぶことより意味のあることかもしれないと、息子のうれしそうな顔をみていて感じました。